平野小の子どもたちのすがた

5年2組:最近の学習・活動紹介

 5年2組の国語の学習では「多角的に捉える」ために「テクノロジーの進歩」に関する教材を扱い、学習を進めてきました。テクノロジーはこのまま進歩してよいのか、それとも進歩しすぎることはよくないのか。子どもたちは自分の立場を明らかにしながら、話し合いをしたり意見文を書いたりしながら学んでいきました。

 今回は一人の児童の作文を紹介したいと思います。以下原文です。

 

〇自分の考え

 テクノロジーの進歩について、ぼくは進歩しすぎないほうがいいという考えでいます。なぜなら、高性能ロボットにたよってばかりいると、人間がやってもらえないことにがまんできなくなったり、どんどんハイスペックなロボットになっていくと、人間とテクノロジーの心地よい関係からどんどん遠ざかっていってしまいます(やってもらう人間とやってあげるロボットの関係)。

 ロボットを作っている中で人間の技術も進歩ししていけば、困った時に助けてくれるかもしれないという理由で、テクノロジーはどんどん進歩していくべきだという考えの人もいると思います。それらについてわたしは反対です。

 ではまず、「ロボットをつくっているなかで人間の技術も進歩していっている」に対する反対意見を話していきます。なぜかというとロボットを作っている中で技術が進歩していっているは一部の人間だけだというのと、テクノロジーが進歩していけばもっとハイスペックな高性能ロボットを求めていきます。そうしてテクノロジーをどんどん進歩させていくと、いずれは人間の技術は限界をむかえると思います。人類がもっとハイスペックなものを求めている中、人間の力ではどうにもできないとき、開発員は開発用のロボットを作ると思います。そうして、どんどんテクノロジーが進歩していくと、ロボットは人間の限界を超えていくかもしれません。

 次は「ロボットが進歩していけば、困ったときたすけてくれるかもしれない」についての反対意見です。なぜなら、「困ったとき」が例えば「のどがかわいた→困った」になってしまうと、やってもらう人間とやってあげるロボットの関係が築かれてしまうからです。ですが、人の命を助けてくれるロボットならいいと思います。

 なので僕は、テクノロジーの進歩は、基本的にしないほうがいいと思います。ですが、命を助けるためのテクノロジーは進歩していったほうがいいと思います。

 

 

 この文章を書いた児童は、教科書を読み始めた学習の初期段階から「テクノロジーは進歩しすぎないほうがいい」という意見でした。ですが、自分の考えに固執することなく、テクノロジーを進歩させたほうがいい立場とそうでない立場での話し合いから、反対の立場の相手の「高性能ロボットは困った人を助けられる」「人の命を助けるために高性能ロボットは必要だ」という意見を客観的に捉え、良い考えだと判断したのだと思います。そして、それを自分の考えの中に取り込みました。

 今回の国語の学習は「多角的にとらえる」でした。この文章を書いた児童は「教科書の文章」「自分の考え」「友達の考え」を様々な視点からとらえ、最終的に「僕は、テクノロジーの進歩は、基本的にしないほうがいいと思います。ですが、命を助けるためのテクノロジーは進歩していったほうがいい」と、自分の考えを深めました。多角的に物事をとらえ、自分の考えを深める、素晴らしい学びを得たのではないかと思います。

 

 さて、話は変わり本日は係活動も大盛り上がりでした。「クイズミリオネア」でなく「クイズかけオネア」が帰りの会に開催されました。

 

 「スマイる新聞係」が、どうすれば皆に新聞を読んでもらえるか一生懸命考えて作りだした企画です。スマイる新聞係が発行した新聞にちなんだ問題が出されるクイズコーナーでした。素晴らしい発想ですね。

 ただ問題を出すだけでなく、「テレフォン」や「オーディエンス」などの救済措置もあるようです。本日は第1回目、時間が足りず途中で終わってしまいましたが盛り上がった企画となりました。次回もとても楽しみです。

 スマイる新聞係だけが頑張っているわけではありません。ほかの係活動のみんなも、「学級のみんなが楽しめるように」と係活動頑張っています。

 みんな、いつも楽しい係活動をありがとうございます。