学校日誌

3.11 前向きさと助け合い

 明日は3月11日です。放送による全校集会で次のことを子どもたちに話しました。

 これから東日本大震災のお話をします。11 年前の3 月11 日14時46 分、東北地方に今までにない大きな地震がおきました。本当に恐ろしい地震でした。駐車場の車がボールのようにバウンドしていました。地震が収まるといろいろなものが落ちて壊れていました。全国で約1万8千人の人が亡くなっており、今も見つからない人がいます。福島県はこの大震災で、地震・津波(海から大きな波がきて全てを流した)、放射線の3つの大きな被害を受けました。そのため、素晴らしい琴の演奏を聴かせてくれた大川さんのようにふるさとを離れて避難生活をする人もたくさんいました。本当に恐ろしい大震災でした。
 そのような恐ろしい震災の時に先生は二人の素晴らしい人に出会いました。今日はそのお話をします。
 一人目はさわやかな大学生のお兄さんです。地震のあと、先生の勤めていた学校は避難所になり、浜通りなどから逃げてきた人が体育館で生活をしていました。先生はその避難所が別な場所に移る日、終わりになる日の当番でした。その時残っていたのは、4つの家族と大学生のお兄さん1名です。朝、先生が体育館で目を覚ますと大学生のお兄さんが体育館のモップがけをしていました。最後の日なので,体育館をきれいにしてくれているのです。それから避難している人たちが使っていた布団の片付けを始めました。中には腰の曲がったおばあさんもいます。すると大学生は「僕が片付けますよ。休んでいてください。」といって他の家族の分も片付けました。片付けも終わり、避難所にあった非常食や水をみんなで分けることになりました。大学生は「ぼくはいいですから、家族の人たちで分けてください。」といいました。その様子を見ていた先生は大学生から「困っている時こそ、みんなで助け合うことが大切なのだ」ということを教えられました。先生には娘がいますが、こんな人がお婿さんならいいなあと思いました。
 二人目は奇跡のおばあさんです。震災の次の年、先生は浜通りの学校に転勤になりました。その町はは地震のため、津波と火事で焼け野原になりました。多くの人が津波に流されて亡くなりました。津波に流されながらも生き残ったおばあさんのお話をします。おばあさんはもう70歳ぐらいでしたので、足も丈夫ではなく津波が近づいてきたとき、逃
げ遅れてしまいました。そして、津波にのみ込まれてしまったそうです。どんどん山の方に波にもまれて流されていきます。次に波の勢いが止まったと思ったら今度は海の方に向かって流れ始めました。どんどん海が近づいてきます。おばあさんは「もうだめだ、海に流されて私は死ぬんだ。」と思った瞬間、おばあさんは頑丈な家の2階の屋根にちょこんと正座の姿勢で座っていたそうです。波が海の方に去って行くのを見て「ああ、助かった」とほっとしたそうです。嘘のような話ですが、先生はお店のおばあさんに実際会ってきました。とても元気で明るく前向きなおばあさんでした。どうして奇跡が起きたか、町の人は「ばあさんは前向き(くよくよせず未来に向かって明るく頑張る)だから運も味方するんだ。」と言っていました。おばあさんに会って「前向きさが大切なんだ。」と教えられました。
 もし災害などに遭ったら、「前向きさ」と「助け合う」ということが生きるために大切なことなのだと思います。