ささやようちえん
福島市立笹谷幼稚園
ささやようちえん
福島市立笹谷幼稚園
来週から2学期。夏休み中に、できるだけ音の出る工事を終えたいと、壁壊しが急ピッチで行われています。今日も朝から、大きな音が休みなしに、園舎に響いています。
あれ、何か変ですね。さあ、どこの壁が取り壊されたか分かりますか。
さあ、ここはどこだか分かりますか。
トイレのドアも壁も、素敵にリニューアルされます。楽しみにしていてください。
笹谷探検(その3)
夏休み自由研究【笹さんぽ(その3)】
「むかしのひとは、どこでかいものをしたり,どんなくらしをしたりしていたのでしょう」
自家用車がまだ普及していない頃の人々の交通手段は徒歩かバスなどの公共交通と考えられます。従って普段の生活で必要なものは近くに何でもあったのではないでしょうか。
旧笹谷村役場の前に目を閉じて立ってみると、いろいろ風景が思い浮かんできます。
雑貨屋さん、魚屋さん、衣料品店、床屋さん、農協、お医者さん、神社、それから屯所も、郵便局・・・、そして人の往来も。祭りも。
目開けると、目の前には熊野神社が、下大笹生村の村社です。お祭りは賑やかだったのでしょうか。
南に向かうと右手に新築された高野医院と薬局が、
さらに進むと右手に忠魂碑があります。ふと、今は忠魂碑の前は体育館ですが、以前はもっと威厳のある場所ではなかったのか思います。(三本の樫の木があったと聞いたような気がしますが)
さらに南に向かうと、右手に佐々木商店、そして石橋商店があります。その隣が笹谷郵便局です。
道路を挟んで東側には、小学校、公民館(今の学習センターの前身)、幼稚園があり、賑やかであったことが想像されます。学校の建物は、村の中心方向の西を開けるように、校庭の南、東、北にあったのではないかと思われます。
今度は旧笹谷村役場から北に向かうと、左手に蓮光寺があります。この辺は寺町です。
その先の交差点付近には、旧佐久商店、カットパーマ夢など。
左に曲がるとJAみらいふくしま信陵支店(旧農協)、
左に曲がると火のみ櫓(屯所)が見えます。
調べると、もっともっといろいろなものがたくさんあり、賑やかな人の流れがあったことが推測されます。
猛暑とコロナ禍で、遠くに出かけることは難しいですが、静かに目を閉じふっと昔の笹谷を今あるものから想像してみるのはいかがですか。(あくまでも、今日の笹さんぽでの想像です。)
猛暑の中、休日返上で続いていた耐震工事も、今日から4日間の休みに入ります。作業員の皆さんありがとうございます。
今日から園舎も夏休みですね。
幼稚園の4匹のメダカも、頑張って生きていますよ。今日から静かになり寂しいです。暑くならないといいな。
現在の工事の様子です。幼稚園のどこかわかるかな?
夏休み自由研究【笹さんぽ(その2)】
「こんなにたくさん流れている水、どこから流れてくるのかな?」
かがやきファーム(園の畑)に行く途中、郵便局から斜めに道路を渡り、小学校のプールに沿って流れる用水を、グレーチング越しに覗いてみる園児が。
なかなか目の付けどころがいい。
笹谷の歴史と、この用水には深いつながりがあります。
この用水のもとは、栗本堰といいます。取り入れ口は、松川、奥松川橋の上流にあります。
栗本三左衛門が開削し、享和3年(1803)幕領桑折代官所の許可を得て大改修しました。その後幾多の改修を経て、縦横無尽に走る用水は、笹谷を中心とした阿武隈川西部の多くの田畑を潤すこととなりました。
詳しいことは、水神様(笹谷道本林)の土台の板碑に記されています。
幼稚園のすぐ西側にも、栗本堰を見ることができます。
栗本堰は今も現役、先人の偉大なる功績ですね。
夏休み自由研究【笹さんぽ(その1)】
「ささやようちえん、どうしてささやというの?」
笹谷の地名は、明治22年に、下大笹生村と大谷地村の合併により、笹谷村ができたことに始まるとされます。当時の資料によると314戸、1866人と記されています。
その後、昭和30年3月31日に信夫郡笹谷村は、福島市に編入され福島市笹谷となります。
◇旧福島市役所笹谷支所(笹谷文化センター、ハッピー学童クラブささや)
村役場近くに郡道の起点として設置された道路元標が、今も残っています。
◇道路元標
村役場は、福島市に編入で福島市役所笹谷支所となりますが、信陵支所が設置されその役目を終えます。今も旧福島市笹谷支所(現笹谷文化センター)の建物と旧福島市役所笹谷支所の表札が残っています。
◇旧福島市役所笹谷支所の表札
〒960-0241
福島市笹谷字上町18-1
TEL/FAX 024-557-1471
sasaya-y
@mail.city.fukushima.fukushima.jp