1月14日の夜から降り始めた雪で,15日(金)の朝は一面の銀世界でした。庭坂小学校の正面玄関付近の駐車場は,とても広いのですが,朝早く出勤した職員が雪はきをしたので,子供たちが登校する時刻にはきれいになっていました。(一番早い職員は6時前から雪はきをしてくれていました。
【正門から見た校舎:朝7時】
休み時間になると,子供たちが校庭に出て,走り回ったり雪だるまを作ったり,雪合戦をしたりと,思い思いに雪の感触を楽しんでいました。
【額縁窓から校庭を望む】
今年の冬は暖かくて,雪も全くといって良いほど降りませんでした。
例年であれば,始業式の朝はいつも積雪があって,朝から雪かきに追われるのですが,今年は雪もなく,穏やかな3学期の始業式でした。
しかし
1月13日(水)の朝は,西道路から西側で積雪が見られ,庭坂は一面の雪景色でした。マイナス3℃ぐらいでしたが,体感温度はマイナス10℃ぐらいでした。
ちらついていた雪も子供たちが登校してくる頃には降り止み,青空が広がってきました。10時の休み時間に融け始めた校庭に出て,子供たちは元気にドッジボールをしたり遊具で遊んだりしていました。校庭に融け残っている雪で,雪玉を作って遊んでいる子もいました。
【元気に遊んでいる子供たち】
庭坂小学校の6年生が1月15日(金)の2校時目(9:25~10:10)に福島県立医科大学の「甲状腺検査」出前授業を実施いたします。
甲状腺の働きや検査の仕組みを学習したり超音波機器の実演などをして頂く予定です。
保護者の皆様も,なぜ甲状腺検査は繰り返し必要なのだろうか。ヨウ素はどんな働きをするのだろうか。いろいろが疑問があると思います。12日夜のPTA役員会で,「保護者も参観させてほしい」という要望を頂きました。
6年生対象の授業ではありますが,保護者の皆様に参観して頂くことも可能です。しかしその場合,事前にアンケートを記入して頂く必要がありますので,参観を希望する場合は,担任を通して14日(木)までに,お申し出ください。当日早めにおいで頂き,アンケートに記入して頂きます。
なお,理科室で行うため参観できる人数に限りがありますので,ご了承ください。
(このお知らせも,時間がありませんので,申し訳ありませんがHPにアップするのみで,プリント等は配付いたしません。)
平成28年1月8日(金)8時25分,体育館で第3学期の始業式を行いました。全校児童268名,交通事故や大きなけがもなく,元気に平成28年をスタートすることができました。校長先生からは,「申年は“物事が進歩・発展し成就する年”といわれていて果物でいえば“実が締まりおいしい味がつき収穫できる時期”ともいわれています。また,今日から始まる3学期はまとめの学期であり,4月からの新しい学年の土台を作る学期なので,目当てをしっかりと立て"あいさつ日本一”“おそうじ日本一”“学力アップ日本一”をめざして頑張りましょう。あったか言葉をできるだけ使い,友達を喜ばせましょう」と話がありました。
全校生で歌った校歌は,体育館中に響きました。
3学期は1年のスタートでもありますが,それぞれの学年のまとめの時期でもあります。1人1人,どんな目標を立てて今年一年を過ごすのでしょうか。
みんなの活躍が楽しみです。
【始業式 校長先生のお話】
【校歌 元気よく大きな口を開けて歌う子供たち】
校庭にも子供たちの歓声が戻ってきました。
【外で元気に遊ぶ子供たち】
各学級の黒板の写真です。1つだけ同じ教室の黒板で,ちょっと書き換えられている物があります。どれとどれだかわかりますか?
庭坂小学校の沿革誌を見ると昭和29年4月に庭坂と庭塚の両村が合併し大庭村となり,昭和31年9月には野田村,水保村,大庭村の3村が合併して吾妻村となったとありました。庭坂町内で見つけた「大庭商店街」の表示です。わずか1年半の「大庭村」の歴史が伺える資料です。
理科準備室に木管があるのを見つけました。先日の「庭坂の歴史」でお知らせした滝川次男さんの手紙の中に,「田の底50糎から見つけたのもです」とある木管でした。132年前(明治17年)に高湯温泉から湯町まで温泉のお湯を引いた木管の実物が残っていたのです。
平成28年1月7日(木)の朝は天気雨。庭坂小学校から虹が立っているように見えました。明日からいよいよ3学期が始まります。例年,3学期の始業式の日は雪が積もっていて,朝から雪かきをするような天候だったのですが,今年は雪のないスタートが切れそうです。
今日の虹は,庭坂小学校から堂石山まで虹のアーチ全体がきれいに見えていました。写真に撮ろうと思ったのですが,大きすぎて全体が入りませんでした。写真に撮ったら,うすくて見にくかったので,ちょっと彩度を上げてみました。
1月5日に出勤した職員みんなで印刷室の掃除をしていたところ,片隅から銅版画のコピーが出てきました。庭坂小学校の西側に湯町という地名がありますが,その由来を書いたお手紙が添えられていました。滝川次男さんから頂いた物と思われますが,明治18年に高湯温泉から木管でお湯を引いて温泉場として大変賑わった,という内容です。「日本博覧会出版所銅板部製」と書かれています。その頃の道路は8間(約15m)あったといいますから,とても賑やかな町並みだったということが伺えます。
湯町の温泉場(高湯と地図には標記されていますが)はわずか10年で引き湯を止めてしまったそうですが,昔から宿場町として栄えた庭坂ですから,調べてみるといろいろと面白いことがありそうです。