各学級の黒板の写真です。1つだけ同じ教室の黒板で,ちょっと書き換えられている物があります。どれとどれだかわかりますか?
庭坂小学校の沿革誌を見ると昭和29年4月に庭坂と庭塚の両村が合併し大庭村となり,昭和31年9月には野田村,水保村,大庭村の3村が合併して吾妻村となったとありました。庭坂町内で見つけた「大庭商店街」の表示です。わずか1年半の「大庭村」の歴史が伺える資料です。
理科準備室に木管があるのを見つけました。先日の「庭坂の歴史」でお知らせした滝川次男さんの手紙の中に,「田の底50糎から見つけたのもです」とある木管でした。132年前(明治17年)に高湯温泉から湯町まで温泉のお湯を引いた木管の実物が残っていたのです。
平成28年1月7日(木)の朝は天気雨。庭坂小学校から虹が立っているように見えました。明日からいよいよ3学期が始まります。例年,3学期の始業式の日は雪が積もっていて,朝から雪かきをするような天候だったのですが,今年は雪のないスタートが切れそうです。
今日の虹は,庭坂小学校から堂石山まで虹のアーチ全体がきれいに見えていました。写真に撮ろうと思ったのですが,大きすぎて全体が入りませんでした。写真に撮ったら,うすくて見にくかったので,ちょっと彩度を上げてみました。
1月5日に出勤した職員みんなで印刷室の掃除をしていたところ,片隅から銅版画のコピーが出てきました。庭坂小学校の西側に湯町という地名がありますが,その由来を書いたお手紙が添えられていました。滝川次男さんから頂いた物と思われますが,明治18年に高湯温泉から木管でお湯を引いて温泉場として大変賑わった,という内容です。「日本博覧会出版所銅板部製」と書かれています。その頃の道路は8間(約15m)あったといいますから,とても賑やかな町並みだったということが伺えます。
湯町の温泉場(高湯と地図には標記されていますが)はわずか10年で引き湯を止めてしまったそうですが,昔から宿場町として栄えた庭坂ですから,調べてみるといろいろと面白いことがありそうです。