先週の木曜日から金曜日にかけて6年生が修学旅行に行っている間に、これらの写真のような出来事がありました。
これは、6年生が修学旅行に行っている間に、5年生が自主的に書いていたメッセージです。
6年生がいない二日間、5年生が委員会活動や縦割り清掃など責任をもって頑張ろうとしていた気持ちがよく伝わってきます。
5年生からのメッセージに対して、6年生から下記のような返事が書かれていました。
いつもリーダーとして学校を支えている6年生の姿を見ている5年生は、6年生が留守だったこの二日間でその存在の大きさやありがたさを感じていたことと思います。その5年生からこうしたメッセージが贈られたり、それに対して6年生が返事を書いてあげたりするなど、こうした行動が自主的にできてしまう子どもたちの姿って、とても素敵ですね!
二日間の活動を十分に満喫し、6年生の子どもたちは充実した表情で学校に戻ってきました。
帰校式でも、進行やあいさつなど、6年生の子どもたちは堂々とした姿で行っていました。
代表児童のあいさつでは、この修学旅行だけは「絶対に行きたい」と強く願って過ごしてきたことや、グループのみんなで計画を立てて行ったフィールドワークが最高の思い出になったこと、最後の集合場所が見えたときには、これで終わってしまうかと思い寂しくなってきたことなどを発表しました。そのあいさつからは、今回の修学旅行がどれほど充実したものだったかが伺い知ることができました。
子どもたちがこのように充実した活動をすることができたのは、事前の計画や準備をしっかり行ってきたからです。そこには、担任の指導はもちろんですが、保護者の方々のご協力やお世話になった旅行業者の方、また、修学旅行生たちを受け入れてくださっている観光業の方々など、多くの皆さんの努力や思いがあったからだと思います。そうした思いをしっかりと受け止め、これからの生活にも生かしていってほしいと思います。
二日間、お疲れ様でした!
2日目のランチは、事前にグループで決めておいた食堂に行って食べました。
会津に行ったらやっぱり「ソースかつ丼」ですよね!親に頼らず、自分で注文して支払いもして、ちょっと大人になった気分です。
刀を持った勇ましい子どもたちがいるここは「御薬園」。今から600年前の室町時代に、霊泉が湧き出たこの地に会津領主が別荘を建てたのが始まりと言われています。後に、各種薬草を栽培する薬草園が設けられ、「御薬園」と呼ばれるようになりました。戊辰戦争時代は、新政府軍の療養所として使用されていたため、戦火に巻き込まれずに当時の姿をとどめています。
飯盛山にあるこの大きな石碑は、1928年に、白虎隊士をたたえローマ市民からとして、当時のイタリアの首相ムッソリーニから『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』と贈られた石碑です。
飯盛山の登り口です。ちょっと小雨が降ってきました。
飯盛山からは、班別行動が始まりました。
このグループは、赤べこの絵付け体験です。今から400年前、会津のお殿様だった蒲生氏郷(がもううじさと)が職人を呼び寄せ作ったのが始まりと言われています。赤べこは、昔、会津の人々を疫病から守ったと言われています。赤色には、魔よけや厄除けとしての願いも込められています。
修学旅行2日目は、朝6時45分からみんなで朝食をいただきました。
今日は、この後、全員で飯盛山に移動し、9時から会津若松市内フィールドワークが始まります。
これが今朝のメニューです。午後まで元気に活動できるよう、しっかり食べてスタミナをつけています。
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